気まぐれ日記 2023年8月

2023年7月はここ

8月1日(火)「義父が亡くなった・・・の風さん」
 朝早く、義父が危篤との連絡が入り、ワイフが病院へ直行した。
 現地へ着いたワイフから義父の死亡を聞き、とりあえず明日の上京準備をしてから、私もそちらへ向かうと伝えた。
 そうこうしている間に、またワイフから連絡が入り、昨日万が一のために準備していた通りに進行していること、明日が通夜で明後日が葬儀、とりあえず今日は自宅にいてほしいということだった。
 明日が通夜となると、東京でのシンポジウムに最後まで参加していたら、参列できない。講演後にすぐ退出して間に合うだろうか、検討しているうちに、喪主は私に決まったという連絡が飛び込んできた。色々な理由から、長女の夫ではあるが、私が適任となったのだ。スケジュールの変更がMUSTとなったが、単純なネット検索では正解は出てこなかった。各区間ごとの最速スケジュールを組み合わせて、最短で到着できるスケジュールが出来上がった。それに合わせて新幹線の予約を変更した。
 あと、今回の葬儀屋が家族葬に特化しているため、親族全員が通夜のあと宿泊することができない。それで、私は、明日はいったん帰宅して、翌日再び葬儀に参列するため現地へ向かうことになった。
 夜、ワイフが帰宅し、結局、今日私が行かなくてもいいほど準備は簡単ではなかったことが判明した。
 今朝一番で福島県在住の兄に第一報を入れてあったので、ここで続報を伝えた。兄夫婦は参列はしなくてよいが、義父にとって孫にあたる私の子供たちは、遠くてもみな来てくれることになった。
 明日と明後日のため、ワイフも私もまだやることがたくさんあった。

8月2日(水)「講演から通夜へ・・・の風さん」
 ワイフは早朝から出かけた。義父の亡骸は昨日のうちに葬儀屋に安置されていて、義母も付き添っている。姉妹でこれからの準備の続きをやるのだ。
 私は、昨日立てたとんぼ返り上京スケジュールで行動させてもらった。
 講演会場は日本学術会議の講堂で、私は2番目の講演が担当である。パネルディスカッションに話題提供することも目的の一つだが、私は講演後すぐに退出するので、目的が果たせたかは確認できない。
 12時に現地入りし、スタッフから今日登壇される先生方まで、なるべく全員にご挨拶するように心がけた。
 予定通りの時刻に私の講演が始まり、会場の聴講者(30名くらい)とオンライン聴講者(200名くらいとのこと)への挨拶からスタートした。自己紹介はほとんどせず、今日のプログラム(全体像)のあと、結論を先に述べて中身に入っていった。講演時間が伸びると、帰りの余裕がなくなってしまうので、時間を気にしながらの講演だった。
 帰りは順調に乗り継いで、名古屋まで着いた。ここからは自宅ではなく、通夜の会場へ向かうので、JRで岡崎駅まで向かった。甥っ子の一人が駅まで迎えに来てくれた。
 通夜が始まる15分前に着き、急いで喪服に着替えて、会場に入った。直前の打ち合わせはできなかった。
 家族葬なので、参列は親族だけである。それでも、我が家は、娘たちの夫も来てくれたので、全員である。義妹の家族も義父の孫までほぼ全員だった。
 通夜は浄土真宗(西本願寺派)の僧侶により厳粛に執行された。喪主の私の挨拶は、40年をこえるお付き合いによって、本当の父と息子の関係になったような気がする、というものだった。
 その後、会食となり、今夜は、葬儀屋に宿泊するのは義母と姉妹の3人のみで、私と子供たち5人は、岡崎駅近くのホテルに宿泊することにした(昨夜、連絡を取り合って決定した)。


8月3日(木)「亡くなってなお感じる親の愛・・・の風さん」
 昨夜は疲労ですぐダウンしてしまった。今朝は4時に目が覚めて、それからはまともに寝ることはできなかった。
 特に気になっていたのは、自分自身の体調のことだった。実は、昨日の講演の記憶がほとんどないのである。始まってからスライド数枚まではしゃべっていたが、そのあたりから靄にかかり、最後のスライドでの「ご聴講ありがとうございました」もちゃんと言ったかまるで思い出せない。降壇した直後からしか、思い出せないのだ。途中の記憶がないということは、適当にどんどん飛ばして話したのではないかと不安で仕方がなかった。
 あまりにも気になるので、スマホでネット検索してみたら、こういう症状を、一過性全健忘というらしい。一番心配なのは、軽い脳梗塞が発生したといった脳の異常である。その他も、一般的に疲労とかストレスとか色々あるらしいが、特定できないことが多いようだ。また、これをきっかけに認知症がスタートすることもあるらしい。
 8時からホテルで朝食を摂り、10時までに葬儀屋へ行った。葬儀は10時半からである。
 参列者はほぼ昨夜と同じ。今日も葬儀屋の心のこもった(型どおりでない)進行にしたがって、式は進んだ。喪主のあいさつでは、初めて昨日の講演での異常に触れて、義父の死因である脳卒中から連想して、死んでもなお私を心配してくれる、つまり親のありがたさを感じるという話をした。
 各自、柩に記念の品を入れたが、私は拙著の一つを入れさせてもらった。
 喪主の私は白木の位牌を抱き、霊きゅう車に乗って斎場へ向かった。自分の両親の時は、兄が務めた役割だった。
 斎場はとても立派で近代的だった。こういった経験は昨年もしているので、要領が分かっているが、亡くなる前までは直接言葉を交わしながら、親の愛情を受けるが、これからは、言葉を交わさなくても、ことあるごとに(たとえば昨日の異常のように、問題が起きると)親が心配してくれている証拠だと思いつつ、いつまでも親の恩を感じることになるのだ。そういったことが実感として分かる。
 昼食を摂りながら、約2時間待って、義父のお骨を拾いに行った。まだ熱いお骨のほとんどを骨箱に収納した。その骨箱を抱いて、斎場を後にし、また葬儀屋へ戻った。
 続けて初七日の式も同じ僧侶によって執り行われた。念仏を一緒に唱え、最後の法話は、人は亡くなっておしまいではなく、亡くなったあとも仏様として皆の心にはもちろん、実生活においてもともに生きていくのだという内容だった。人生経験が長くなった私も常日頃そう思っていたので、大いに共感できた。
 ちなみに義父の法名は、本願寺顕如上人の『正信偈』からとられている。味わい深い。
 その後、解散となったが、実家の祭壇作りを確認してから、私はワイフと次女を連れて、自宅へ向かった。約1時間の運転だったが、昨日は軽い脳梗塞を起こしたかもしれず、慎重にハンドルとアクセルを操作した。
 今月は人間ドックを予定している。1年おきの脳ドックは、今年は受診しない年に当たるが、明日、オプション追加の連絡をすることにした。

8月4日(金)「講演の記憶は戻らない・・・の風さん」
 午後遅くまで起きられなかった。疲れてもいたが、依然として講演の記憶が戻らないので、不安で仕方なかった。
 必死に起きて、兄貴へ香典が届いたことを電話で連絡してお礼を伝えたあと、人間ドックを予約している健診センターへ電話し、脳ドックのオプションを追加したいと言ったら、運よく同じ日にできるということだった。MRIなので、脳に異常があったかは、遅かれ早かれハッキリする。
 一昨日の講演に関係するメールが何通か届いていたが、読むのが怖かった。現地では講演後、誰も私の異常を指摘する人はいなかったけれど、思い出せない私の不安は解消していない。
 それらのメールの中で、1通、講演で私が語ったことに触れた文章がちらりと見えた。スライドに書いた文章ではないので、明らかに意図的に話した内容である。もしかすると、ちゃんと話せたかも、と思ったので、そのメールを全文読むことにした。すると、そのメールは大学の先生からだったが、講演の打診が含まれていたので、私はますます気を良くして、それを喜んで引き受けたいと思うようになった。しかし、やりとりをしているうちに、すべて英語でやってほしいということだったので、断念することにした。中学入学以来何十年も英語を勉強し続けて来て、未だに会話がまともにできないというのは、くやしい。このままでは死んでも死にきれない(大げさだが)。何とかしなければと、脳梗塞を起こしたかもしれない頭でも、思う。未練か(笑)。
 ケータイに電話がかかってきた。私がセミナーをおこなう団体の知り合いからで、某企業のコンサルのようなことができないかという打診だった。内容を聞くと、元気であればやれそうなので、検討を進めることにした。断念はしたものの、講演の打診のあったメールで、やはり少し元気が出ていたからだ。お盆休み後に先方に出向いて、何ができそうか、打ち合わせをすることになった。
 今日は、朝食も昼食も抜きだったが、晩御飯だけはちゃんと食べた。
 疲労感はまだ残っていて、今夜も早々に就寝することにした。

8月5日(土)「四つ葉マーク・・・の風さん」
 もし義父が予定通り月曜日に退院していたら、昨日出発で、今日は中学校の同窓会「古希を祝う会」参加の予定だった。他にもやりたいことがあり、また荷物をたくさん持って行きたかったので、キャメロンで行くことにしていた。旅程は4泊5日である。しかし、飛行機で行こうとしても、切符は取れなかったと思う。決定してからあまり時間がなかったことや、秋田は竿灯祭りの時期だったからだ。新型コロナのこともあって、各地のイベントは4年ぶりの開催ということでにぎわっている。
 しかし、水曜日の異常というか異変が示すように、もしキャメロンで出かけていたら、途中で似たような異常が起きたかもしれない。運転中だったら、大事故になりかねない。
 そういう意味で、今回の予定変更は、義父から私への警告「無理してはいけない」つまり親の愛情だった気がする。
「古希を祝う会」では、神主によるお祓いも予定されていた。高齢ドライバーは、70歳からクルマに四つ葉マークを装着することが、努力義務とされている。なので私は、ひそかに四つ葉マークを買って準備してあった。お祓いを受けるときに、身につけて、今後の交通安全の覚悟を新たにしようと思っていたのだ。
 今日初めてそのことをワイフや、ワイフをサポートするために滞在してくれている次女に語った。
 事前にお祓いは受けられなくても、誕生日を境にキャメロンに四つ葉マークをつけようと思っている。
 依然として講演の記憶は戻らないが、新たな異常も起きていない。少しずつ、講演関係者からのメールに返信も始めた。

8月6日(日)「アーミッシュから・・・の風さん」
 ワイフは実家へ出かけた。妹も合流し、お義母さんの慰問となる。葬儀を終えてこれからの相談もするだろう。
 昨日、2階のトイレの水の出方の調整をした。前から気になっていた問題だ。どうすれば変化させられるかは分かっている。しかし、ちょうど良いところで設定するのがなかなか難しい。昨日は奇跡的にうまく行った。あと、タンク内洗浄が課題として残った。近いうちにやろう。
 そんなことがあったので、今日も何か懸案事項を一つでも終えておこうと起床したら、メルカリ出品が売れていた。今日はこれ(梱包と発送)だけだな(笑)。
 相変わらず記憶は戻らない。ストレッチも軽くにしておいた。天気は不安定で、晴れたり曇ったり小雨が降ったりした。新しい電動草刈り機は、スタンバイ状態だが、当分出番はないか。裏の土地の雑草の状態をチェックすると、いくらか伸びていたが、不思議と枯れている部分があちこちに見られた。除草剤はそこには散布していない。一方、外周部には新しい除草剤(低コスト版)を散布してあったが、効いていたので安心した。
 晩御飯の支度は次女がした。父親をなくしたワイフを気遣っての居残りの目的はここにあった。冷蔵庫の中にある食材だけで準備してくれた。挽き肉入りの卵焼きは初めてだったそうで、スマホでレシピを見て作ったという。確かに、我が家の味ではなかった(甘かった)。
 遅くワイフが帰宅した。実家の様子を聞く余裕もなく、ワイフは明日の準備に取り掛かった。休養を心掛けている私は、リビングでAmazonprimevideoを観ることにした。ハリソン・フォードの「刑事ジョン・ブック目撃者」にした。この作品の中でアーミッシュが出てきた。もう20年か30年以上前になるかもしれない。英会話の教材の中でアーミッシュが出てきた。アメリカで移民当時の生活様式を守っているドイツ系のキリスト教徒たちのことだ。平和主義者であるが、戒律のいくつかは、イスラム教と似ているところがある。
 レイチェル役のケリー・マクギリスの美しさに魅了されたが、あとで調べたら、この映画の翌年、トム・クルーズの「トップガン」で教官役シャーロットを演じていた。「トップガン」でも見惚れていたが、同一人物だった。(自分は)何歳になっても美の基準ひらたく言えば好みのタイプは変わらないということか(笑)。次は、同じく彼女の出演作である「告発の行方」を観てみよう(二度目になるな)。

8月7日(月)「英会話のリベンジ?・・・の風さん」
 起床時、iPhoneの画面が真っ暗だった。電源は入っているのに、だ。もしかすると、名古屋市榮にあるアップルストアまで行くことになると思い、必死にベッドから抜け出した。このトラブルは、執筆マシンで検索し、Appleのサポートページにあった「強制終了⇒再起動」というやり方で解決した。原因は、幸い、ハードではなくソフトだったので、PCと同様にリセットすることで復帰したのである。やれやれ。
 台風6号がいったん日本から離れかけて逆戻り、その後、きわめてゆっくりした速度で沖縄地方から九州を南北に縦断しようとしている。普通速度表示される台風の移動速度が、数字ではなくゆっくりといったあいまいな書き方で、気象予報士も「自転車よりも遅いくらい」といったニュアンスで表現している。この遅さが被害を大きくしている(大きくしそうだ)。異常気象の解説は、一通りでない。これから何が起きるのか、恐ろしい。
 自分自身に襲いかかってきた異常・異変(一過性全健忘)については、その後、再発したという認識はない。フィジカルな原因(脳梗塞のような)があったのかは、今月受診する脳ドックで明らかになるだろう(結果が出るのは来月だろうが)。それまでが不安である。
 ところが、徐々に講演の反応を確認しているのだが、否定的なものは今のところない。だから、講演はいちおう最後までやり終えたらしい。むしろ「良かった」というコメントがあるので、もしかすると、ちゃんと話せたのかもしれない。だといいのだが。今朝のiPhoneやPCのように、自分自身の頭脳をリセットすることで元通りになるような問題とは違うと思うので、不安は解消しない。
 一方、私の講演の反応の中の一つが、新たな講演依頼につながりそうだ。何度もメールでやりとりし、実現するなら来年おこなうことになった。この講演は、これから自分が「また講演しても問題ない」ということを確認するためのものではない。それは、年内に予定されている、いくつかの講演やセミナー講師の仕事で試される。それらがすべてうまくいったとして、さらに私がよりハイレベルな講演にチャレンジできるかの試金石となる。なぜなら、英語でおこなうのが条件だからだ。
 中学入学以来、英語が面白くて、最初はよく勉強した。だんだん、記憶力の悪さが原因で、成績は落ちていったが、大学に入学してからは、YMCAに通うなど、英会話に重点を置いて、勉強は続けた。それでも、外国生活を経験することはなく(海外旅行は何度もあるが)、英会話は身に着かないまま今日にいたっている。それでも英語の勉強を断念することはなく、細々と続けているのは、やはりこの英語が面白いからだろう。
 ま、とにかく、国際学会をはじめ、英語を公式の場で使ったことは何度もあるが、すべて恥をかいただけだった。今回の英語での講演依頼は、もしかすると人生最後の英会話に対するリベンジになるかもしれない。だから、チャレンジさせてもらえたら、ありがたいので、精いっぱい準備をしてみようと思う。

8月8日(火)「新ツムが最弱(笑)・・・の風さん」
 不安定な天候が続いている。その合間を縫うような感じで、キャメロンで外出した。JAのATMで先週の葬儀費用など、精算のためのキャッシュをおろした。続けて、ドラッグストアへ行き、恒例のまとめ買い。今さら書いても仕方ないかもしれないが、義父も私も何事もなければ、今日は、私は秋田から帰宅する予定日だった。一気に帰って来るのは大変なので、昨夜は新潟泊まりの計画だった。今日の新潟地方は、フェーン現象もあって猛暑である。豪雨であれ、猛暑であれ、そういった中を突っ走って帰宅しようとしたら、それなりに消耗していたはずで、無茶だったのかもしれない。
 時間の経過とともに、一過性全健忘の再発もないので、少しずつ日常に戻そうという気持ちだけは盛り上がっている。メールの返信も遅くなりながら、少しずつ出すようにしている。
 ワイフの手助けで滞在してくれている次女が、今夜も晩御飯を用意してくれた。
 ワイフは、実家へ行き、妹と協力して、役所や銀行、病院など、あちこちの手続きをして、遅く帰宅した。
 いくらか気持ちのゆとりも出てきたこともあり、ツムツムの新ツムで笑ってしまった。ディズニー100周年とかで期待が盛り上がっていたのに、上手なユーチューバーが使ってもスコアが出ないのだ。こういう期待外れが、あらかじめ狙って仕組まれたものなのかどうかが、とても興味深い。もし確信犯であったのなら、どういうビジネスモデルなのか、MBAホルダーの私でも簡単には判断できない。
 英会話リベンジのことを昨日書いた。オーラルに特化して訓練するため、試行錯誤を始めた。最大の懸念点は、今回の異常・異変だけでなく、もともと記憶力が劣っていることで、これもチャレンジになる。

8月9日(水)「あれから1週間・・・の風さん」
 毎年恒例の施餓鬼のため、ワイフと心月斎へ出かけた。最初に墓参をしたが、小雨が降ってきた。相変わらず天候は不安定だ。
 施餓鬼には新型コロナの影響はまだ残っている。今回変わったのは、マスク着用が本人の自由意思になったこと。実際、参加者数もコロナ以前に戻っていない。今回は、戒名をいただいたこともあって、焼香は2回だった(新盆の人も2回)。週末は住職さんが来宅してくれて、棚経をあげてもらう。
 実家へ行かないワイフは、今日も忙しい。香典返しを送ったり、届けたりしていた。滞在中の次女は日中はリモートで仕事中なので、ほとんど姿を見ない。私は、異変の再発を恐れ、体力を消耗しないようにしている。今日で1週間になる。友人からは「あまり気にしないように」とメールが来た。10月の講演の事前準備のため秋田へ行くのはやめようと思う。前日の朝から秋田入りするので、必要なら前日にもできる。
 今日も、英会話の勉強方法について、いくつか試してみた。ケータイに保存してある英会話をイヤホンで聴いてみたら、アーミッシュの話題が出て来た。その中にハリソン・フォードの映画Witnessの話も出て来て驚いた。10年くらい前に、MBAの勉強の一環で、VOA(ボイスオブアメリカ)やFT(フィナンシャルタイムズ)を聴いていたことがある。今夜は、VOAを聴いてみた。結局、講演原稿を早めに作って、そのスピーチにふさわしい勉強法を選ぶべきだと思った。
 あれから1週間、異変の再発もなかったが、記憶は戻らないままだった。

8月10日(木)「電子書籍と解説・・・の風さん」
 幸運にも、絶版になっていた『和算忠臣蔵』が、電子書籍として復刊することになり、その作業が進んでいた。『和算忠臣蔵』は単行本だったので、文庫化というイメージもある。それで私は、できればNHKのBS-2「週刊ブックレビュー」で紹介してくださった神田紅さんに解説を書いてほしいと思った。ところが、絶版本の電子書籍でも普通のことではなく、この私の希望は、容易には実現しそうもなかった。
 今朝、出版社から、私の個人的な行為としてならやってもよいとの連絡があったので、早速、紅さんへ執筆の打診をしたのだが、たいへんお忙しいらしく、即OKとはならなかった。しかし、拒絶でもなかったので、とりあえず精いっぱいのお願いはしておいた。何とか受諾してもらいたいと祈るような気持ちである。
 そんなこんなで、今日はちょっとバタバタした感じで1日がスタートした。
 まだ心身共に不安があり、夕方は昼寝して体調を整えた。
 台風が連続して発生し、新たな台風も移動速度がきわめてゆっくりである。大雨を降らす恐れが高い。ワイフの手助けのため滞在している次女が茨城へ帰るタイミングと台風の上陸が重なると、新幹線がストップして帰れなくなる。台風の速度はゆっくりだが、1日早く帰った方が安心だろう。
 今夜も英会話の勉強方法を探った。FTのアプリをスマホにインストールしてみた。これは使えそうな感じがした。

8月11日(金)「長女も合流してにぎやかに・・・の風さん」
 何とか一過性全健忘の再発もなく日にちが経過しているので、少しずつ日常を取り戻そうと思う。
 台風7号が来る前に、屋外作業をすることにした。
 新しい電動草刈り機で裏の土地の草刈りをおこなった。今度こそ無理な使い方はしないと決め、バッテリは1個のみだた。さすがに新品だけあって、快調に刈れる。しかし、バッテリ1個では、半分程度しか刈れなかった。お盆休み中にちょっと駐車したいという新しい申し出があったので、その対応はできる。よしよし。
 続けて、剪定ハサミを持ち出して、玄関回りの剪定をおこなった。これはけっこう伸びていて、明日、心月斎の住職さんが棚経に来るので、ちょっと安心できた。車庫の周辺も切った。主屋裏のザクロ周辺は、隣家の土地まで枝が伸びているので、そこもいくらか切っておいた。
 草刈りも剪定も、一度にはできない。この続きは明日だ。
 夕方、長女がやって来た。サラちゃんの調教が主目的だが、次女が滞在中に来てくれたので、にぎやかになった。近所の中華料理屋で晩御飯を食べたが、新型コロナの心配がまだあり、店内は満席ではない。しかし、ここも少しずつ日常が戻りつつある。
 夜は英会話の勉強だ。色々なコンテンツを使いながら、来年の英語での講演(リベンジでもある)へ向けて、今度こそという気持ちが高まっている。

8月12日(土)「高密度な1日・・・の風さん」
 心月斎の住職さんが棚経に来てくれた。昨年との大きな違いは、サラちゃんがいること。大きなケージを示しながら説明した。帰る前に、避難していた和室から出て来て、美しい姿をひけらかして行った。
 もう一つの話題は、先週の葬儀のことだった。義父の糖尿病や認知症、そして死因の脳梗塞の話などをしたが、私自身の異変は話さなかった。異常な暑さ含めて、話題が多すぎる。不安な世の中だ。
 住職さんは昼食を摂る余裕もなく檀家まわりを続けるのだという。ご先祖様とのつなぎ役でもあり、人口減少が進む中、心月斎を守りたい。
 冷麺で昼食後、大任を終えた次女が茨城へ帰って行った。ぼやぼやしている台風7号のために新幹線が止まってしまう。幸い台風の速度も遅く、切符も購入できたという。お疲れ様だった。
 昨日に続いて屋外作業に出動した。気温は昨日より高いが、今日やっておけば、1週間くらいは何もしなくていいだろう。
 電動草刈り機のモーターが過熱しないように、バッテリ1個分でも、日陰で休ませながら使用した。草刈り機が休憩中は、剪定ハサミによる剪定の続きだ。玄関付近は終了した。ザクロの剪定は、枝が伸びすぎて、低い脚立ではハサミが届かなかった。
 草刈りと剪定が終了したので、突発の仕事に取り掛かった。うちの30歳以上になる亀は、水槽の中にいる。金魚鉢仕様なので、蓋はエアーポンプや蛍光灯が装着できるような形状をしていて隙間がある。その隙間からサラちゃんが手を突っ込んで亀(メス)に?まれそうだとワイフと長女が訴える。私はまったく心配していないが、心配性の二人の訴えは聞いていられないので、金網を加工して蓋を作ることにした。こういうのは得意である。
 結局、草刈り、剪定そして蓋の製作まで完了するのに、3時間半くらいかかった。水分補給は、外の水道から手の平ですくって飲んだと言ったら、ワイフも長女も絶句していた。急遽、スポーツドリンクを1本(500cc)飲まされた。
 晩御飯後、一気に疲労が襲ってきた。リビングのソファでダウンした。
 次女は無事に茨城に着き、旦那はもちろん、飼っている凛ちゃん(シベリアンハスキーのメス)と蘭ちゃん(マンチカンのメス)の歓迎ぶりの画像を送ってきた。
 明日は、ワイフ、長女と実家へ行く予定だが、行けるか不安である。

8月13日(日)「お迎えの墓参・・・の風さん」
 目覚ましには気付いた・・・が、起きられなかった。実家へはワイフと長女の二人で行ってもらった。
 昨日の疲れがとれていないだけでなく、このところ体調はスッキリしない。肉体労働をしていなくても、体幹に力がなく、普通の行動すら難儀である。長女は「冷房の効いた屋内でも水分補給は重要だ」と言って、スポーツドリンクを勧めてくれる。それには素直に従っているが、どうもそれだけではなさそうだ。
 結局、昼近くになって、よっこらしょを起床した。
 台風7号は依然としてノロノロと北上を続けている。日本列島上陸は間違いなく、明後日は新幹線も終日止まる区間がある。当地は暴風雨になる恐れがあるので、今日と明日は室内ランタン類の充電をしておこうと思う。
 元会社の同僚から恒例の手作り巨峰が届いた。猛暑が続く中、今年も頑張って手入れをした成果である。地球温暖化を招いたのは人類だと思う。その報いをあちこちで受けているのだろうが、文句も言わず黙々と日々の営みを続けている人類も多い。長く生きて来て、結局、アリとキリギリス、どちらも人類の象徴であり、共存するようになっているのだと思う。しかし、いつかアリはキリギリスから学ぶ日がきっと来る。そう思いたい。
 夕方とつぜん雨が降って来て、洗濯物を取り込んだあと、ワイフと長女が帰って来て、一緒に墓参に行った。雨はもうやんでいる。今日はお迎えの日となっている。私の気持ちは、両親含めてご先祖さまは、いつでも好きな時に、お墓や我が家にやって来ていると思っている。私は何とも情けない子孫だろうが、ご先祖さまのお陰で今こうして生きていることは忘れない。
 夜になると疲労感がどっと増すが、今夜は少しだけ英会話の勉強をしてから就寝した。

8月14日(月)「台風7号が接近・・・の風さん」
 ワイフも長女も比較的早起きし、活発に動いているが、私はどうも不調である。昨日はロキソニンを服用してみたが効果は感じられなかった。やはり体幹が弱っているのだろう。今日はかかりつけの病院でだいぶ昔に(草刈り中に腰痛を発生した時)もらったコルセットを装着してみた。単なるベルトだが、不思議と腰のサポートになる。
 台風7号は、当地でも風雨が強まるのは間違いない。一番の心配は停電なので、昨日に続いて、今日もランタン類の充電を続けることにした。こういう時のために、1〜2日ぐらい冷蔵庫を運転できるバッテリが欲しいが、予算は乏しいのでしばらく忘れることにしている(笑)。あ、そうそう、発電機もずっと検討中である。
 コルセットの効果で、体が動くようになった。こういった機会は逃してはいけない。先週からずっとできないでいた雑務を片付けることにした。たまっている寄贈書と名刺の整理である。寄贈書は画像を撮り、ホームページに公開する。名刺も管理ソフトを使い、スキャナーで読み込んでデータ保存する。どちらも根気のいる作業になる。特に寄贈書は手紙が同封されているので、それも読む。今日は読んでいて新たな発見があった。手紙もスキャナーで読み込んで、最後はPDFにしてフォルダーに保存しておく。
 紅さんに解説をお願いする件は、やはり時間的に苦しいので、出版社へスケジュールの延期をお願いした。すると、お盆休みのはずなのに、すぐ返信があり、了解してくれた。ありがたい。
 スキャナー読み取りの作業は深夜に及んだ。一方、ミッションを終えた長女を、アクアで名古屋まで送りにも行った。台風7号が接近する不安定な空模様だったが、無事に送り届けることができた。
 今夜も、YouTubeを使って英会話の練習を少しした。
 就寝するころ、風雨が強くなり、窓や壁が激しく乱打された。

8月15日(火)「継承の重要性・・・の風さん」
 終戦記念日だ。国民は歴史を自ら学ばなければならない。行政任せでは真実は見えてこない。自ら学んだものがパーフェクトな真実でなくても、そこから個人が学べることは大きい。
 幕末明治維新を舞台にした作品を書くために色々と学んだが、新政権は前政権を批判し自らを正当化する。そういうことが多く、明治維新もその例にもれなかった。
 明治政府の政権は太平洋戦争で倒れたかのように見えるが、現政権もそれを継承している(気配りしている)から驚く。
 昭和天皇の聖断がなければ、ポツダム宣言受諾はなかった、つまり終戦はさらに遅れただろう。組織は、末期になると自らの存続を優先しようとする。責任をとる勇気は論外となる。そこで、責任をとる(自分はどうなってもいい)という昭和天皇の発言が必要だった。
 昭和天皇の遺志は、今上天皇(現天皇)に引き継がれていることが、「さきの大戦に対する深い反省」という言葉に表れている(首相の挨拶との違いはここにある)。終戦後、戦没者慰霊の旅を続けた代々の天皇の行動にも表れている。
 行政が反省していなくても、平和を続ける責任は国民一人一人にある。その集合が新しい行政を生み出すからだ。作家としての私の力は微小だが、そういった思想を作品に埋め込んでいきたい。これまでそうだったが、これからもだ。
 今日もコルセットを装着して、自分のやるべきことをやろうと取り組んだが、腰痛を発症しなくても、頭脳が回転しない。何とも歯がゆい。これが私の力の小ささの証明だろう。しかし、諦めず、明日もまた挑戦するしかない。この粘り強さは、亡父譲りで、もしかするとご先祖様からの遺伝子かもしれない。

8月16日(水)「やはり記憶力か・・・の風さん」
 昨日もコルセットのお陰で腰痛は発症しなかったが、頭は回転しなかった。一番恐れている認知症へ向けて一歩一歩進んでいるのではないか。一過性全健忘が再発しなくても、あれは序章だったのかもしれない。腰痛の不安がかなり減ったので、今日は最初からコルセットを装着するのはやめて、様子を見ることにした。
 昨日は台風のため雨降りで、墓参(送り)は中止した。今日はタイミングをはかれば、雨が降っていない時に墓参ができそうっだった。しかし、明日、明後日と父母の命日が続くので、月例の墓参と兼ねようとワイフが提案した。こうやって自宅にいる時間がしっかり確保できているのに、執筆が進まない。書き出しの工夫がイマイチできていないからだ。俗に言うツカミのことではない。読者に続けて読ませるための、引き込むための工夫である。また、それが書けないと、作者としてもモチベーションが上がらないのだ。
 義父が亡くなってもう半月が経過した。実父母が亡くなったときに色々と経験し学んだことがある。それを自分の人生に生かしてこれまでやってきた。義父が亡くなって、あらためてそれらを思い出す。特に、自分の死後のための準備である。義父は認知症だったが、そうなる以前から、身辺整理を心掛けていて、残った家族が困ることはほとんどない。立派である。私もそうするためにあれこれやっているが、まだまだである。
 結局、コルセットを装着しなくても腰痛は発症しなかった。そして、執筆もわずかしか進まなかった。腰痛と執筆遅れは関係なかったのだ。
 就寝前の英会話の勉強だけはしっかりやった。問題は英語の知識ではなく、ヒアリング力と記憶力なのだが。

8月17日(木)「キリギリス・・・の風さん」
 今日もコルセットなしでスタート。
 ワイフは実家へ出かけた。義母慰問と義父死後の手続きがまだまだ残っている。帰宅後、色々な話を聞くが、私自身にも役立つことが多い。今日の話の中では、義父の預金の残高を義母が受け継ぐ場合の手続きについて。残高が300万円を超えているかいないかで違いがあった。義父はそのへんを心得ていたらしく、300万円未満になるように調整してあり、同意家族(内の場合、姉妹のこと)の承認が不要になっていた。一か所にまとめて手続きの回数を減らすのと、数か所に分散させてそれぞれの手続きを簡単にするのと、どちらがいいかはケースバイケースだろうが、違いを知っておくことは重要だ。
 昨日に続いて、雑務をなるべくやらず、執筆に時間を割いた。まだスタートダッシュすら切れていないが、徐々に執筆がルーチン化していくことが大事だ。
 台風が去って、幸い大きな被害もなく、そして今日は、気温としては猛暑ではない。しかし、湿度の高さが異常に感じられる。エアコンは基本的に除湿モードで稼働させているのだが、湿度があまり下がらないし、実際、汗ばんで不快である。暑さを感じるときは当然だが、高湿度でもぐったりしてしまう。
 明日は脳ドックを含めた健康診断なので、その準備を並行して進めた。健診後は、ATM巡回をするので、そのための準備もした。今年から来年へかけて年金額が大幅に減少する。平均的な金額になるというのが正しい表現だが、それでも減少は減少である。不安が大きい。そして、自分の死後のことはもっと不安だ。そこへいくと、義父の生前の準備は完璧で、姉妹が中心になって処理をしているが、義母の今後の暮らしに不安はほとんどないらしい。それは、私の実父の場合も同様で、そこへいくと、私自身は、まるでヤクザな生活をしてきたみたいで、不安ばかりが募る。アリのつもりだったが、キリギリスに近かったということか。やれやれ。

8月18日(金)「脳ドックを受診・・・の風さん」
 目覚ましで起床。健保の定期健康診断にオプションをたくさんつけた人間ドックの予約日。
 下記連休中の企業が多いのだろう、受診者が少ない。
 毎年のことで検査は慣れている。医師の診察があった時に、一過性全健忘の話をした。「血圧が極端に下がっていたことはないかな。今日も値は低いし・・・」それは違う。聴講者からの証言で、私はちゃんと講演したらしいのだ。それに、今日は話さなかったが、現役時代、24時間血圧測定というのを、会社の診療所の指示でやらされたことがある。携帯型血圧測定記録計を、1日装着して、どのタイミングで血圧が高くなるか調べた。睡眠中が低かったのは想像通りだが、最も高い値を示したのは、後輩たちへの講義の時だった。私自身は緊張していたとは思っていない。おそらくテンションが上がっていたのだろう。だから、2日の講演時も、同様に血圧は高まっていたと思われる。ま、いずれにせよ、脳ドックの結果を早く知りたい。結果通知が来るまで3週間近くかかるというのでガッカリしたが、仕方ない。あと腹部CTも受診したので、既往症がてんこもりで指摘されるはずだ。
 帰りに、JAとUFJのATMをハシゴして帰宅した。いつも通り、手順のメモを書いておき、その通りに行動した。これで間違いなくミッションをこなせるのだが、老化現象なのか認知症なのか、区別はむずかしい。
 昼食後は、執筆に専念した。一つの節を書き終えたので、次からは、思い付くまま書いていこうと思う。
 昨夜に続いて、今夜も英会話の勉強は中止した。気持ち的に執筆に時間を割きたかったからだ。

8月19日(土)「久々の筋肉痛・・・の風さん」
 豪雨でなければ猛暑といった感じの昨今の天気。今日はその猛暑。
 明日からワイフがトール教室を再開するので、裏の土地の草刈りをしておくことにした。
 昼食後、完全武装で出動。私自身の肉体の心配もあるが、電動草刈り機も壊してはいけない。バッテリー1個分で、何度も日陰で休ませながらおこなった。何とか、生徒さんたちが駐車するゾーンは終了した。
 汗をかいたので、かき氷を作った。今日はいちごミルクと豪華版。子供の頃のかき氷は安かった。すごい大昔だ。定番のいちごは10円くらいだった。かき氷マシンは、抽選で当てたもので、新品を購入すると5000円以上する。電池式で元々パワーが小さいので、年々パワー不足になってきた。来年あたり更新が必要かも。
 水分補給を終えても、疲労はすぐには回復しない。リビングのフロアでダウンしたら、昼寝になってしまった。
 あたりが暗くなり、起き上がると、早くも筋肉痛を感じた。疲労感より筋肉痛の方がはるかに良い。心地よいくらいだ。その勢いでルーチンをこなした。
 晩御飯後は執筆。昨日に続いて、とにかく書き進めていく。
 明朝、区の避難訓練があるが、たいした内容ではないので、執筆は行けるところまで行け、ということで、就寝は午前4時になった。

8月20日(日)「執筆は頭脳労働・・・の風さん」
 午前7時に目覚ましで無理やり起床。
 多忙なワイフに代わって、区の避難訓練に参加。と言っても、8時に「無事ですカード」を門扉にぶら下げて、指定避難所(公園)に行き、記帳して帰ってくるだけ。公園内の草地を歩いたが、朝露で濡れていた。熱帯夜でも、湿度が高く、草と空気の温度差でこういうことが起きるのか、と妙に驚いた。
 帰宅後ベッドへ逆戻り。
 睡眠を補給して昼近くに再起床。ワイフは今月最初のトール教室をやっている。家族の不幸があって初めてとも言える。精神力のなせる業だろうか。自分の気力のなさを反省してしまう。
 トースト1枚の昼食後、完全武装で屋外へ出動。昨日の残りの草刈りだ。休み休みおこなったのは昨日と同じ。ネックファンのおかげで首周りは涼しい。来年も猛暑だろうから、来年は空冷ベストも用意したい。腰の蚊取り線香も燃え尽きた。
 ぬるめのシャワーを浴びて、除湿の効いた部屋でかき氷を食べた。それでも噴き出す汗がなかなか止まらない。このメカニズムはよく分からない。温度を無視すれば、サウナの中と同じなのかも。
 裏の土地の階段部分に設置してあったセンサーライトが壊れたので、新しいのを発注したのだが、屋内専用が届いた。選定ミスである。あらためて屋外用を再選定したが、また治具を自作して工夫する必要が生じた。
 今夜も執筆に専念した。基本的に頭脳労働である。
 今日読了した辻真先先生の『盗作・高校殺人事件』は、読者を混乱させるトリックがてんこもりで、これはこれで大変な頭脳労働の極致になっている。
 大先輩の偉業に叱咤激励される形で、延々と、しかし遅々と執筆を進め、就寝はまた午前4時。

8月21日(月)「ふと気付いたこと・・・の風さん」
 昼近くに起床。深夜執筆モードが続いているので、日中は暑さに耐えながらあれこれ気になっていることをやることにした。
 9月のオンラインセミナーへ向けて、準備スケジュールの確認をした。このセミナーは開催される可能性が高い。しかし、1年ぶりなので、講義スライドの更新は必須である。
 すぐ出せなかったメールを2通出した。今月の体調異変が遠因で、気力が湧かなかった。しかし、そんなことはメールには書けない。あくまで普段通りの姿勢で。
 屋外用センサーライトが届いたので、現物の寸法を測りながら、収納ボックスにしているガラス製の水槽に入れるための治具設計をした。なるべく手間をかけずに作れるように、2通りの構想図を考えた。明日、部品を購入して製作するつもりだ。
 岡山の知人から電話があり、講演するならどんな形があり得るか話し合った。先方はすごく乗り気で、とてもありがたいのだが、過去の私の講演を知らないので、その説明に手間取った。これまでのパターンでやらせてもらえるのなら、ノーギャラでも飛んでも行くが、期待に応えられないことが一番心配である。
 電話で話しながら、ふと気付くことがあった。私は子供時代、普通の子と変わっていた。ひと言でいうなら、集団行動がとれなかった。それでも、両親も学校の先生も暖かく見守ってくれた。今なら、知恵遅れでない方の特殊学級に入れられてしまう子だろう。そして、自閉症だとか発達障害だとか病名をつけられてしまう。そういった子がのちに鳴海風になるとは思えない。もし私が、今、子供で、体は男だけど、心は女です、と言っても、これから平等に扱われて、のちに鳴海風になれる可能性がある。これって、おかしくない?
 深夜、 hairdye を強行しながら、執筆を続けた。少しずつ進んでいる。
 就寝はまた午前4時近かった。

8月22日(火)「DIYに燃える・・・の風さん」
 今日は月2回ある買い出しの日。
 ドラッグストアでは、補充程度の買い物をし、続けてホームセンターへ。今夜から天気が崩れそうだが、日中は日差しも強くて暑い。
 ホームセンターでの買い物は重要だった。昨日設計したセンサーライトに必要な部品を買うのが目的である。ライト部とソーラー部を好きな位置に固定できるのは150ミリ角の立方体(サイコロ形状)なので、その寸法の木材を入手できれば一発で買い物は完了する。通常、希望のサイズはないので、それぞれの希望寸法には大幅な公差を設けてあるが、加工賃も馬鹿にはならない。そこで、ステー(取付金具:Stay Mounting bracket)との組み合わせも設計してあった。
 凝りに凝った事前設計だったので、買い物が楽しみだったが、すべて当てが外れた(笑)。
 結局というか止むを得ず、ポリの箱型容器を購入した。150ミリ角に近い寸法だったし、安価だった。
 帰宅し、現物合わせで、取付位置を決めた。本来は木ネジ(タッピングスクリュー)固定だが、ポリボックスは肉厚が薄いので、ボルトナット締めにしたかった。が、適正寸法のボルトがなく、無理やり、短めの木ネジで固定した。
 ガラスの水槽の内部にピッタリ収納できた。
 今後、ソーラー充電してテスト点灯したのち、裏の土地に設置する。
 今夜も重要なメールを2通出し、明日は早起きなので、早めに就寝した。

8月23日(水)「1年ぶりのぶどう園・・・の風さん」
 9時から長女の部屋のエアコン取り換え工事予定だった。空は雨模様で、天気予報も雨だったので、町の電器屋さんから中止の電話があった。
 起床して準備していたが、頭が重かったので、またベッドに戻った。
 正午まで寝てしまった。たいした肉体労働はしていないのだが、横になっていることが多い。棺桶に半分体が入っているとも言えるし、半分寝たきりとも言える。やれやれ。
 昼食後、キャメロンで外出。途中でお土産のプリンを購入して、知人(デンソーの元同僚で先輩)の経営するぶどう園へ直行した。昨日電話で確認したところ、今年は熟すのが昨年より早く、さらに諸般の事情により、収穫が25%減少なので、販売できるか分からないとのことだった。年に1回の交流だし、できれば知人へ送りたかったので、今日行くことにした。
 知人夫婦はお元気だった。受注残が山のようにあり、明日の収穫量として●●●kgが必要で、息子さんたちが有休をとって明日応援に来るが、売れるぶどうがそれだけあるか微妙とのことだった。ダメ元で、今年の注文をした。収穫が足りなかった場合、連絡をもらうことになった。
 近況を話して、笑顔で別れたが、話題が健康不安だったことは仕方ない。とりあえず来年もまた来たい。
 帰りにGSでキャメロンを自動洗車した。明後日、仕事で出かけるのだが、自分で洗車している余裕がないので、仕方なく自動でやっておいた。
 玄関でのソーラーライトの点灯予備テストは成功した。明日、組立て状態でおこなって成功したら、明後日から裏の土地に設置しようと思う。
 今夜も就寝は午前4時ころになってしまった。ところが、この午前4時前後、スマホがうるさかった。ロシアのプリゴジン氏の乗ったプライベートジェット機が墜落した(おそらくプーチンによる粛清)、北朝鮮からミサイルが発射された、といったニュースが連続したからだ。
 田舎の片隅に暮らしていても、地球上にあることは否定できず、安眠できない時代である。

8月24日(木)「チンピラ小僧・・・の風さん」
 明日、久々に出張する。講演かセミナー講師のような仕事の企画が持ち込まれていて、仲介役と一緒に、相手方を訪問し、打ち合わせる。
 モノづくりに取り組み始めた中小企業で、一つの理想の姿として、拙著『トコトンやさしいコンカレント・エンジニアリングの本』の内容を紹介することがベースらしいが、現状とのレベルギャップが大き過ぎるため、どうすれば貢献できるか、それが明日の打ち合わせの目的である。現場見学もあるので、楽しみである。
 とは言え、10年前に出版した拙著を前もって復習しておく必要はあると思い、全ページざっと読み返した。退社直後の熱い想いがよみがえってきた。34年間の現役生活に対する記念碑であり、勤務先の同僚すべてに対する感謝の気持ちがこの本になったのだ。
 キャメロンからナビを持ち出して、いつものように、オフラインというか、実際は書斎で目的地を登録しておこうとしたら、電話番号からもまた住所からも登録できなかった。比較的新しい場所なのだろう。
 執筆へのパワー注入の意味もあって、ときどき古い時代劇を、Amazonprimevideoで鑑賞する。古い時代劇ならある程度時代考証が正確で、勉強にもなると思うからである。最近、少しずつ観ている嵐寛寿郎の「影法師捕物帖」は1959年の作品だ。明治維新からまだ100年も経過していない。私は6歳だった。
 ところが、時代考証は不合格だった。そこらじゅう間違っている。3つだけ書いておこう。葬式の場面があったが、黒い喪服を着ている。正しくは白である。江戸時代の白が黒に変わっていったのは明治になってからで、最初は西洋の真似からだ。2つ目は、老中の屋敷の門に表札がかかっていた。そもそも武家屋敷に表札はない。誰の屋敷か示したかったら、映画なのだから、スーパーインポーズで文字で示せばよい。3つ目、主人公の影法師(浪人)が老中の前で座っているとき、大刀が左わきに置いてある。これだけの身分差があれば、両刀は取り上げられているのが普通で、百歩譲って、親しい間柄だとしても、大刀は右わき、つまりすぐに取って抜くことができない側に置くのが礼儀以上の常識だ。
 ま、時代考証はともなく、私が社会人になるまで存命だった嵐寛寿郎はカッコいい。この作品の時も、堂々たる貫禄と風格で、既にかなりの老境に見える。が、実際は、この映画の時、57歳だった。ということは、今の私よりもひと回りも年下! いかに自分が単なるチンピラ小僧かということを痛感する。やれやれ。

8月25日(金)「久々の現場見学・・・の風さん」
 昨夜の雨は今朝までは続いていなかった。予報では今日は晴天のはず。
 自作のソーラーライトを裏の土地に設置して、キャメロンで出発。半そでワイシャツとスラックスという、ビジネススタイルだ。デンソーポロシャツと安全靴で行こうかと思ったが、静電対策されたデンソーポロシャツは、半そでをすべて処分して、長袖しか残っていなかったので断念した(笑)。今日は現場見学もあるのだがなあ。
 有料道路を使ったので、1時間ほどで待ち合わせポイントに到着した。コンビニでパンとコーヒーを買って軽く腹ごしらえした。それにしても暑いぞ、今日は。目的の会社を下見しようと向かったが、ナビにセットした場所は近くなかったようで、見つからず、再び待ち合わせポイントへ。
 仲介役の知人と合流して目的の会社へ行った。確かにナビにセットした場所とだいぶ違う。
 これからモノづくりに力を入れたいという会社で、気持ち的には大いに支援したい。しかし、私のかつての勤務先とのレベル差が大き過ぎて、やはりどのようなアプローチが相手のためになるのか、それが難しい。
 1時間以上の現場見学をはさんで意見交換したが、内容の確定までにいたらなかった。しかし、見学した現場は親しみを感じるもので、昔の加工下請け工場といった感じ。
 知人を会社まで送りながら、車中で打ち合わせを続け、ようやく私らしい貢献のアウトラインが見えてきた。モノづくりそのものの楽しさと、製造業というビジネスの醍醐味が伝わる話をするということだ。
 時期としては来年年明け早々といった感じか。無理のない計画を作っていかないと、こちらの体調不良で相手に迷惑をかけてしまうから、自重も大事。
 帰りは有料道路を使わなかったせいで、通勤渋滞にも巻き込まれ、2時間くらいかかってしまった。非常に疲れた。裏の土地の前を通過するとき、自作のセンサーライトが反応して点灯した。
 結局、今夜は英会話の勉強しかできなかった。やれやれ。これだから無理は禁物。

8月26日(土)「無理をしちゃいけないのだが・・・の風さん」
 いつものようにゆっくり起床。なるべく睡眠時間を確保するのが最近の方針だ。
 ワイフも長女からのアドバイスを受けて、睡眠時間確保に方針を変更して、最近のつらい出来事を乗り切ろうとしている。その効果があって、私にとっては義父になるが、死後の色々な手続きを、着々とこなしているように見えた。ところが、今日、久しぶりにめまいが出たそうで、午後のトール教室を休みにしたと言う。
 お互いに無理がきかない状態にあるのかもしれない。
 今日は、ルーチンと雑務を終えた後、来月(と言ってももうすぐだが)のオンラインセミナーの準備をしておくことにした。1年ぶりである。講義内容に大きな変化はないが、この1年の間に、他のセミナーではスライドを色々と更新させている。それを反映させておくことにした。きわめて事務的な作業だが、慌てるとへまをするので、一つずつ慎重にこなしていった。だいたい更新が終了した。あとは、本番前に、リハーサルをやりながら、修正して、テキストを作成することになる。もう一つ、オンラインの事前通信チェックを事務局から求められているので、いつでもできます、とメールしておいた。
 夕方、長女がやって来た。サラちゃんの調教に加えて、ワイフのケアも来宅の目的に加わっている。
 夜は、英会話の勉強をした後、ぶっ倒れるまでの覚悟で、執筆の続きをやった。途中で、国立国会図書館のデジタルコレクションで資料を調べる必要が生じ、慣れた作業のはずだったが、ずいぶんと手間取った。
 そのためもあり、就寝は午前5時になってしまった。また無理をしてしまった。

8月27日(日)「夜にならないと作家になれない・・・の風さん」
 昼近くまで寝ていたが、いつもより睡眠時間が少なくて、頭が重かった。
 私と同様に寝坊していた長女が起きて来て、3人で朝食を摂った。これまた、ふだんより量が多く、腹がくちくなり、心身共に深い海の底へ落ち込む感じがした。
 ということで、午後はまた休眠状態。
 日没後、ようやく心身が起動。古いPCと同じだな(笑)。
 これまたいつも通り、長女をマンションまで送りがてら、晩御飯は名古屋で摂ることになった。
 夏休み最後の週末ということもあるのか、レストランは混んでいた。
 さすがに食欲が戻ったので、普通に食べた。
 実は、私とワイフのiPhoneのデータ使用量が異常に増えていて、長女に質問したら、5G契約をしたことで、バックグラウンドでのデータ交換量が増加しているらしいとのこと。特に必要なければ5Gでなく4G設定にし、バックグラウンドでのデータ交換もアプリごとに判断して手動にしておくことにした。長女の場合は、それでも安心できないので、ふだんは機内モードも併用しているとのことだった。やれやれ。便利になっても料金が増えるのは困る。
 次女から遅いLINEメッセージが入った。週末はペットの犬と猫を連れて、旅行に行っていたそうだ。写真や動画が添付されていて楽しそうだった。
 帰宅後、やっと作家モードに戻り、英会話の勉強と執筆を少しやった。
 明日は銀行に用があって外出するが、今後の生活費のことで不安が大きいことが判明した。作家業を真剣にやらないと、中国の不動産業みたいに破綻しそうだ。

8月28日(月)「気になる音読・・・の風さん」
 まだ睡眠不足だったが、起床して、執筆マシンから通算7回目のワクチン接種の予約をした。しばらくファイザーが続いていたので、敢えてモデルナを選択した。アナフィラキシーショックは、同じ異物が短い間隔でも起きるじゃないか、という素人判断があった。それと、前回の6回目のファイザーは、それ以前に比べて、発熱も腕の痛みもきわめて軽く、抗体がちゃんとできたか不安があったのが第二の理由である。
 昼食後、今度は、電話で、毎年行っている消化器系の内視鏡検査の予約をした。今年は、上部に加えて大腸が追加される。これまで2回ポリープの切除があったので、良性だろうが、また念のための切除があるかもしれない。CTの場合、疑わしいのがあっても、切除は次の段階になるので、やはり内視鏡が一回ですむ分便利だ。もちろん敏感な私は鎮静剤で眠っている間にやってもらえるので、苦にならない。
 ビジネスではないスケジュールが2つ組み込まれた。ボケ老人は仕方ない。
 キャメロンで外出し、JAへ行き、キャンペーン対象の定期預金の更新をした。今回はこれまで通りの低金利だが、これからしばらくは長期金利が上昇するだろう。その後、いつかは資本主義が進化する時代がやって来て、むやみやたらな金利は消滅する。
 今日もYouTubeで英会話の勉強をした。初心者を対象にした動画だが、そういった中に、私に欠けているところを発見することがある。ここ数日気にしているのが音読である。この訓練は確かに欠けていた。
 深夜、執筆の続きをしたが、どうも頭が回転しない。夜型人間のはずなのだが。

8月29日(火)「今日は発音練習・・・の風さん」
 いつも通りにゆっくり起床。今日こそと毎日思っているが、どこかで失速してしまう。はたして今日はどうか?
 トースト1枚の昼食後、長女の部屋へ出動。目的は、背の高い本箱2つの転倒防止だ。ここへきて、地震対策の優先順位を上げたため、涼しい秋が訪れまでは、屋内の、それも転倒防止に注力することにした。
 2階は勾配が急な屋根を反映して、天井が傾いている。そのため、突っ張り棒は使えない。そこで、ワイヤーで壁とつなぐ部品を使うことにした。壁は必ずしも裏に柱はないので、ねじ止めしても、気休めとなる。それでもやらないよりはいい。電動ドライバーも含めて、準備万端整えて、作業を開始した。思ったより順調に進行し、2階は今後もこの方式で進めることにし、部品の追加発注もしておいた。まだ長男の部屋そして書斎と、転倒防止対策の必要な本箱は多い。
 ルーチン後、久しぶりにサラちゃんのインスタに動画を、作家活動中心のフェイスブックに画像(先日の自作センサーライト:下に同じ画像を貼り付けた)を投稿した。年初から読み始めた英語の対訳詩集がもうすぐ読み終わるので、それの書評は近々X(ツイッター)に投稿する予定だ。
 ここ1〜2か月でたくさんの本の寄贈を受けたので、読書が大変である。何とか読んで自分の作品に反映させたい。
 英会話の勉強、今日は、発音に取り組んだ。次女が不要だと言った教材がいくつもあり、その中にDVDがあった。ワイフの専用DVDプレイヤーを持ってきて、書斎で再生してみた。音源(スピーカー)として、音楽用としては不十分だが、発音練習にはまあ使える。今後もオーラル中心にレベルを上げていきたい。
 また、執筆が深夜になった。何とか一つの節のおしまいまで書きたくて、意地になってやっていたら、結局、就寝は午前5時になってしまった。やれやれ。大丈夫か、このボケ老人?


8月30日(水)「朗報届く・・・の風さん」
 ゆるゆると起床。とりあえずストレッチは90%くらい復活した。2日の異変以来、セーブしていたのだ。
 トーストだけの昼食後、ルーチンをこなした。今日も天気は不安定なので、屋外作業はしない。屋内雑務も次女の不要品(先日新たに指定されたもの)の処分、ただし1回に1ミリ前進のみ(笑)。とは言え、今日は面白いグッズがあった。ICレコーダーのオモチャだ。本物は所持しているので、このオモチャが使えたら、英会話の練習に使ってみようと、動作確認をしてみた。LR44のボタン電池を4個も使う(ということは6V駆動)生意気な奴だ(^_^;)。交換用電池は大量にストックしてあるので、すぐに装填してチェックしたら、使えた! ただし、録音時間は10秒くらいか(笑)。雑音もある。最後はキャメロン運転中のアイデア発想ボイスメモにしよう。
 夕方から執筆の続きに着手した。なかなかスピードアップしないが、このまま続けていれば、どこかで加速するかもしれない。
 日付変更線を越えてから(大げさな)英会話の勉強、昨日の発音練習の続きをやった。ICレコーダーのオモチャも使ってみた(自分の発音の確認用)。必要なトレーニング方法なので、本物を使うことにして、机の抽斗(ひきだし)から引っ張りだしたら、電池切れだった。動作確認は明日だな。
 今日は、うれしいこともあった。書斎のエアコンの冷媒漏れの件だ。きわめて微量のため、今年は充填対策だけで、来年本体丸ごと更新を覚悟していたのだが、修理業者の努力で、無料修理のめどが立ったという連絡があったのだ。5年の保証期限をわずか過ぎていただけだったので、何とかできないか検討してくれていたが、朗報が届いたことになる。ありがたい。感謝感謝。

8月31日(木)「脳ドックの結果・・・の風さん」
 昨日の続き。ICレコーダー(本物)に電池を入れたら、見事にONした。使える!
 ルーチン後、来月のセミナーのテクスト作成に取り組んだ。26日(土)に講義用スライドを作成してあったので、テキストはすぐできるかと思っていた。ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。大きな修正はなくても、全体構成が乱れていて、その都度、講義スライドも修正することになり、終わってみたら、もう晩ご飯の時刻になっていた。がっくりくるぜ。原因はボケなのか、単に作業速度がのろいのか、それとも見込みが甘いのか。
 脳ドックの結果が届いた。開封するのが怖かったが、確認しないと先へ進めない。思い切って事実と向き合うことにした。結果は、昨年の結果からの変化はなかった。ワイフの助言もあり、この結果を持って、脳外科の先生に相談してみることにした。セカンドオピニオンとはちょっと違うが、良い先生が近くにいることが分かっているので、認知症含めて、アドバイスがもらえると思う。
 先日の講演の録画を確認できる。これも怖くて見ることができなかったが、脳ドックの結果を受けて、少し前進させることにした。とりあえず、全データを執筆マシンに保存した。そして、ついでに、3つのことを確認する気になった。記憶が残っている講演の始まり部分と、全く覚えていない講演の最後の部分を見た。始まりの部分は、自分の姿が客観的に確認できた。いつもの早口で、しゃべりに異常は見られなかったが、少し疲れ気味の表情だtった。最後の部分は、まとめのスライドを読み上げているところで、ゆっくりしたしゃべり方だ。表情も見えたが、明らかに疲労感がにじみ出ていた。3つ目の確認は、録画時間で、33分だった。最初と最後は正味から除外していいとすると、32分ぐらいしゃべっていたことになる。気にしていたにもかかわらず、2分ぐらいオーバーしたようだ。前の講演が早めに終わっていたのと、私の後は小休憩なので、全体の進行に問題がなかったのだ。
 過去はともかく、次の講演やセミナーのことを考えると、体力をしっかり確保しておくことが重要だと思った。
 夜は、疲労を感じたので、X(ツイッター)への投稿とハガキの作成、それから健保組合へ脳ドックの補助申請書類の郵送の準備にあてた。それだけで、午前2時を回ってしまったので、閉店することにした。せっかくICレコーダーが使えるのだが。


2023年9月はここ

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